楽しく強迫性障害

強迫性障害は全然楽しくないです。なおさないと…というプレッシャーを下げるためにあえて。

前回の記事に対して思ったこと

カウンセラーの記事について、自分なりに書いてみて思ったことがありました。


数日でも自分の気持ちは変わるんだなーということです。


実は、感じ方が変わったきっかけはSNSで見かけた発言でした。


SNSをやっていると、自分と同じ特性の人を見かけます。


そうすると、共感する反面、嫌だなー、自分もこういうこと言ってるのか……と同族嫌悪的な感情も芽生えます。


自分が以前不安定だった時は、そういう人に絡まれたり、自分も必要以上にそういう同じ特性の人にイライラしていました。


例えば、自分と気が合わない人に怒りを剥き出しにする


ばか、無能など、相手を侮辱した表現を使う


自分の思ったことを 私正しいですよね?といちいち他人に確認しないと気持ちが落ち着かない


ちょっとした諍いをひどいことをされた…と被害者意識を持ち、それを外に出す


言っていることに矛盾があるが、自分でそれに気付かない


自分がばかにしている他者に何故か依存する


など……。


しかし、単純に悪質というわけでなく、どちらかといえば、発達障害の特性で人の好き嫌いが激しい印象でした。


依存体質なのかなと。


善悪の話を持ち出して他者を攻撃してしまう特徴も持っているようでした。




嫌だなーと感じているのですが、なぜかそういう人を見かけると気になってイライラしながら見てしまいます。


それは何故か考えてみなくてもわかるのですが


自分もそうだよなーってことなのです。


了見が狭いというか、思い込みが激しいというか


現実認識が曖昧で、感情の容量が少ないのかなと思いました。


だからといって悪い人ではないのが、また気になるところなのかな……。


SNSでは、他者の発言を聞いて自分の問題の起こし方を考察できるので、対人関係の参考になります。


そこで、その考察を経て前回の記事を見たのです。


ああ、そうか、自分の価値観に合わない=相手を無能、悪呼ばわりするのってこういうことなんだなー…と思いました。


ただ自分には合わないことがわからないんですよね。


逆に自分に自身がないから、この人おかしいですよね?(私が正解だよね?)


と人に確認したがるのだろうなと思いました。


相手のことを悪扱いしないと


自分の感じ方も善悪や正誤で判断しなくてよくなるので


逆に楽になるんだけどね……。


人のことを善悪や正誤で判断するから、逆に自分が間違えてるかも…と思った時に意見できなくなったり


情緒不安定になるのだなと


他の人の発言から気付かされる体験でした。



合わないな、嫌だな、程度の、かるーい感覚でよくて



この人こんなだめなんですよ!



と、わざわざ外に訴える必要はないのだと気付きました。


そして、だめだと思ったら自己判断で別れる


それだけでいいのだと……。


一つ一つのことに過剰反応しないで、薄い反応を心がけて


他人を巻き込まないようにしようと思いました。