楽しく強迫性障害

強迫性障害は全然楽しくないです。なおさないと…というプレッシャーを下げるためにあえて。

目標のない虚しさ

かれこれ5年ほど鬱病を患ってきて

 

ようやく寛解かな?というところまで来ました。

 

きっかけは会社でのいじめだったのですが、子供の頃からの家族関係の悪さ、学生時代のいじめ

 

婚約していた人との別れなどが重なって発症した鬱病でした。

 

思えば子供の頃から無理して走り続けて、立ち止まったことのない人生だったのだなー…と強制的に立ち止まることになり初めて気付きました。

 

この4年間、人格的な問題を解消して別れてしまった元カレと関係をやり直したいという思いだけで突っ走っていました。

 

それがやりすぎて、逆に占い師に洗脳されかかったり、プレッシャーで不眠になったり、カウンセラーさんと共依存になったりしてしまいました。

 

自己啓発を止めようと決めてから、スルスルと精神状態が落ち着き、怒りと不眠に悩まされることがなくなりました。

 

一人言の止まらない症状も落ち着いています。

 

自己啓発=本来の自分の否定なのだなと気付いたのが6月くらいかな……?

 

良くなれば戻ってきてくれる、という思いで努力していたことが精神的には逆効果だったなんて、皮肉ですね。

 

妄想的になる症状もだいぶ落ち着きました。

 

現在は実家で安静にしていますが

 

時々家族と諍いになるとか、家族に怒りを感じる自分は消えていません。

 

でも、怒りを消してしまおうとしていたことが鬱の原因だったのかなと思います。

 

結果的に言うと、私の身内は境界例自己愛性人格障害の人物が多いです。

 

私自身二十代はずっと境界例でした。

 

現在も傾向は残っていると思います。

 

家族にも私にも発達障害もあるので、思い込みから人を攻撃し、複数人対一人で子供をいじめる家庭だったので、いつも自信がなく孤立していました。

 

私自身とても攻撃的な人格に変わってしまったときもあり、恋人と別れて辛い思いをしました。

 

そして、一人になって4年間の自己啓発期間を経て感じたこと。

 

 

それは、病気は病気故に直らない。境界例自己愛性人格障害の家族を持つ場合、家族に変わることを要求するのはまず無理なこと

 

自分が犠牲になる形で家族を許そうとすると自分の人格が壊れること

 

などでした。

 

だから、誰も犠牲にならず、障害を無理に直そうともせず、本人たちがやりたいことを人の迷惑にならないように淡々とこなしていく

 

出来るだけお互いに頼らず、自分のことは自分でやるという方向に話が落ち着きました。

 

 

パーソナリティ障害だけでなく発達障害も併発している場合、人と一緒に何かを協力してこなすよりも、一人の世界の中で自分のしたいことを一人でこなすことの方が、性格的に落ち着きを取り戻せるようです。

 

私の親も、私がコミュニケーションを取ろうとしない限りは、自分のことを一人で黙々と人の反応を度外視してやり続ける人たちなので

 

彼らのマイペースさを侵害せず、本人たちがやりたいことをやらせてあげることが大事なのだなとわかりました。

 

過去に親に吐かれた暴言などがフラッシュバックして布団に寝たきりになっていたのですが

 

発達障害人格障害がある場合、自己同一性を失いパニックになると、人を罵ることで自分を落ち着かせようとする特性があるようです。

 

彼らの特性を人格的な問題としてでなく、自分を否定するでもなく、病気がそうさせるのだ、病気だからと言って自分が彼らの全てを許さなければいけないわけではない

 

など、現実的なことがわかるようになりました。

 

ここに来るまで、私自身人格が不安定になって、4年間も解離性障害で苦しみました。

 

 

家族関係の問題は一旦自分の中では、終わりにしたいと思います。

 

糸の切れた凧のように、次の行き場がなく、虚しさを抱えているので

 

日々のことがまずはこなせるようになりたいな、と思います。

ローマは1日にしてならず?

この頃使ってるSNSの文字がちっさすぎて

 

 

こっちに移行したいなー…と思いつつ、つい慣性の法則で同じところに留まっています。

 

 

思い立ったが吉日の精神で動くのは難しいですね。

 

 

この頃新しい体験に挑戦することに目が向いていて、色々ちっちゃな体験を繰り返しています。

 

 

今日は動画でヨガをやってました。

 

 

思ったよりもめちゃくちゃ気持ちよくて驚いた。

 

ヨガのポーズっていくつかは知ってるし、今更新しく覚えても意味ないのでは?などと思っていましたが

 

 

全然知らないポーズいっぱいあって、それぞれのポーズの効果なども説明されていてすごい参考になった。

 

 

普段動いてない筋肉があるんだなー…と、実感しました。

 

 

これはやってみたいな?と思ったら行動するの大事ですね。

 

 

神経が縮こまっているから神経症なんだなーとなんだか当然みたいなことに気付きました。

 

 

鍛錬することよりも、羽根を伸ばすことが必要だったようです。

 

 

身体を伸ばすことで呼吸が楽になるなだなーと実感しました。

 

 

酸素が行き渡るというか。

 

 

わざわざ大袈裟な運動しなくても、こういうちょっとした思いついた時に身体動かすようなことで全然いいのかもなとか思いました。

 

 

無理なく運動習慣持つのって大事ですね。

 

 

 

なんか今朝は朝に文章書いてるので普通のこと書いてますね。(笑)

 

 

昼から夕方にかけて淀んでいくので、淀みが深まらないように祈るばかり……。

 

 

 

一年前の記事について思うこと

ほぼ寛解した現在から過去の記事を読むと

 

 

ああ、無理してるね…と思います

 

 

カウンセラーさんとの諍いとか、SNSとの付き合い方とか……。

 

 

鬱じゃなかったら、そんな悩み方はしないな、という内容で。

 

 

カウンセラーさんのこととか、悩む以前に、なんか説教されてる?いやだな、この人患者さんの話聞くの嫌なんだな

 

と思ったら、健康な状態だったらさっさと別のところに切り替えてると思います。

 

 

カウンセラーは難しい仕事だから…とか悪気はないから…とか、曖昧な態度が余計カウンセラーさんを威張らせてしまったのだなー…と、今はわかるのです。

 

 

なんなんですかね、なんで鬱のときは普通のときなら なんでそんなことで?ってことで激しく悩むのでしょうか。

 

 

例えば、マッサージ店で人は良いけど痣ができるような施術をされて自信満々でいられたら、二度と行かないですよね。

 

 

マッサージって大変な仕事だから…自分にはできもしないのに人の仕事にダメ出しするなんて…と思いながら痣を作られても通い続けるなんてありえないですよね。

 

 

寛解出来てみて、自分も元はそういう普通の判断力があったよな、と思い出したのです。

 

 

なぜあそこまで自罰的になり、明らかに問題のある人間関係から離れていかなくなるのだろうと不思議に思います。

 

 

あと、カウンセラーさんから離れていくとき、すごい攻撃性が出て、本人には何も伝えなかったのですが、カウンセラーさんに対する不快感で本当に苦しくなってました。

 

離れていく自分を否定しながらカウンセラーさんを攻撃してる自分もいて、引き裂かれてました。

 

 

現在は、まあ、カウンセラーさんも悪気はないのだから、否定しても仕方がないよね、患者さんが指摘してくれないからわからないと言いながら、指摘されたらされたで不満を言って絡みに行きそうな人だったし…

 

 

ていうか、他の患者さんの悪口?不満とかを私に言ってたから私が何か言ってもそれを被害と思って他の人に言いに行くだけなんだろうな、とか

 

そもそも私が持った不満や疑問ぐらい私以外の患者さんや同業者から指摘されたことあるだろうな、でもやめなかったのだろう

 

 

と、想像できることだったので

 

あえて不満を伝えることはしませんでした。

 

 

他所でカウンセリングの相談を一般の人にしていたら、オープンなところだったので色々な人がいて、意見を伝えないあなたが悪いのでは?ということを攻撃的な言い方で言われたのですが

 

 

不満があるときに本人に相談したくなるような人って最初から本人に言える状況が出来上がってるので、

 

私が揉めたカウンセラーさんは、何か、言ってもこちらが悪者なりそうだな…という気配があるのでやめておきました。

 

 

でも、その一般の方からしたら、そうやってお膳立てされるまで不満を言えないこと自体が悪いということを言いたかったのでしょうね。

 

 

それは正論だったと思います。

 

 

私自身が甘えたところがある性格なので、甘えた他人が強烈に許せない自己中心性があったのだろうな、と思います。

 

 

でも、現在は良くなってみて、

 

まあ、それはそれでいいかな、と思えました。

 

 

 

自分の自分に対するダメ出しがきつくなくなった分、カウンセラーさんのことも、単にコミュニケーションが苦手な人だったのだな、と、普通のことが思えるようになりました。

 

結局は自己否定を止めることが他人とも揉めないための一番の方策なのだな、と思いました。普通のことですが。

 

 

鬱な感情を人前で隠さないと、鬱な人を呼び込んでしまうのだなー…と、カウンセラーさんとの諍い、コミュニティでの攻撃的な人との出会いで覚えました。

 

 

自分の自己否定が他人の負の感情を引き出して余計悩むことになるのだなー…と

 

 

今現在、うつ闘病をした作家さんのエッセイを読んでるのですが

 

あるあるだよなーということがいっぱい書いてあって。

 

普段なら揉めないような人と揉めたり、自分の許容値が下がって他人の些細な行動に本当にイライラしてしまうのですよね。

 

その方は猫の中絶に反対して、生まれた子猫を崖から落として殺したというエッセイストに物凄い怒っていて、すごい真剣な文章を書いていたのですが

 

 

私個人としては、たしかにその人はひどいし、非難する気持ちは普通だと思うけど、鬱じゃない時なら、変なことする人もいるね、くらいの気持ちで、そこまで憤慨しなかったのではないかなー…となんとなく思いました。

 

 

鬱のパワーが普段の怒りを倍速させていくのだろうな、と。

 

 

なんか、終わってみると全てが、客観的に思えるのですよね。

 

なぜあんなに必死だったのだろう…とか。

 

 

他の人も経験していることじゃないか。とか。

 

 

どうして唯一無二の自分一人の悩みだと誤解していたのだろう、とか。

 

 

鬱は単純なことが感覚的にわからなくなるからコワイ病気なのだと思いました。

 

あまりに日常的に単純に曖昧にこなしていることを、一旦自分を疑い始めると、永遠と矛盾に気付くようになり、

 

 

それを理屈で正当化できるまで自分を否定し続ける病気なのかなー…と思いました。

 

 

自然な感情が死んじゃうのですかね。

 

 

カウンセラーさんも、そういう理屈で殺されてる私といるのが辛くて、あえて無責任にはしゃぐことで私に何か気づいてほしかったのかもしれないし、私から伝わる重いオーラから自分を守るためにわざと無神経になっていたのかもしれません。

 

 

いずれにしても、鬱状態の他人と付き合うのは大変なことだし、人に理解されようとすることで更に傷ついてしまう病気だな、

 

 

結局は自分でなんとかすることでしか解決しないな、と思いました。

 

 

その作家さんも鬱の状態は5年続いたと仰っていて、私も全く同じ期間でした。

 

その方は仕事をしながら時々休む療養のようだったので、私とはちょっと違いましたが

 

その方も休養を取ればすんなりと寛解する病気だと仰っていました。

 

なおらない人の場合、そのまとまった休養を取るのが難しい話なのだと思います。

 

 

いずれにしても…なおってよかったです。

寛解しました(たぶん)

とんでもなく放置しましたが

 

一年くらい……?

 

何か、時間が解決したのか、

 

恐らく寛解しました。

 

 

現在の状況を少し話します。

 

 

一番ひどい時(昨年の1月とかかな…

 

は、近所のスーパーでの買い物も、音と光が眩しくて、頭が引き裂かれそうでした。

 

音とか光が直接脳に突き刺さる感覚っていうんですかね……。

 

とにかく刺激に対する過敏さが酷くて、30分も近所のスーパーにいるだけでフラフラになって、帰宅したら1時間はベットで倒れたように寝てました。

 

 

現在は、同じ店に行って、え……?この照明が眩しかったの……?たしかに音もちょっと煩いけど、そんなに……?

 

と、普通の感覚に戻ったようで……。

 

 

二度と元に戻らないのではないかと、怯えていたので、驚くくらい何もしなくても元に戻ったので、拍子抜けしました。

 

単に、疲労困憊していたようでした。

 

 

現在から振り返ると、私の正確な病名は

 

 

解離性障害と、鬱、躁病、自閉症スペクトラム愛着障害離人症境界性人格障害

 

辺りだったようです……。

 

 

辺りというのは、実際病院にも何件か行ったのですが、行くたびに違う病名を付けられるので、結局、その病院の専門にしてる病名で診断されるのでは……と悟り、

 

診断された病名自体も視野に入れながら、自分で色々ネット検索して自分の病状に似てるものを探った結果です。

 

 

とりあえず、私は精神薬に一切頼らず、時間が解決する結果となりました…。

 

市販の漢方薬などは結構役立ちました。

 

 

あの、精神科の、一時間待たされるのに診察は10分ってシステムが、どうも性に合わず…。

 

薬局でも更に数十分待たされ、薬は副作用が酷くてのたうち回ってました。

 

私としては、頭の機能のおかしさというより、認知がおかしいのでは?と思い至り

 

 

自分で心理学の専門書や自己啓発系の本を読み漁り、自分で自分の心理分析などを重ね、

 

あとは、純粋に休養を十分に取ることで元に戻りました。

 

とにかく、寝る、起きる、食べる、寝る…の繰り返し

 

+ごにょごにょと心理分析らしきことをしてました…。

 

実際、素人ですから、専門書を読んでも誤解することは多く苦戦しましたが

 

結果的には、カウンセラーさんよりも正確に自分の心理分析が出来るようにはなったと思います…。

 

カウンセラーさんの分析は客観的意見なのですが、自分がその意味を理解しないと自分は変わらないので、

 

なんというか、自分で自分を解るために、私には心理学の専門書は役に立ちました。

 

カウンセラーさんはわかってる、が、自分は自分の状況がわからない…

 

というのが心理的な問題だと思うので

 

解るために試行錯誤していくのは必要だったのかな…と思います。

 

 

カウンセラーさんとは色々揉めてましたが(実際は相手には伝えず、一人でモヤモヤしてました)

 

結局お別れすることにしました。

 

お世話になったのですが

 

ちょっと、従わせようとするところのある人だったので、この人の意見と自分のしたいことは違うのかな…と思いました。

 

黒柳徹子さんに話し方が似ている人で

 

やさしいけど、他意なく人の傷つくことを言ってしまう人というのかな…。

 

これは指摘しても直せないだろうな…と悟りました。

 

なので、なにも言わずにお別れでいいかな、と決めました。

 

 

 

 

前回の記事に対して思ったこと

カウンセラーの記事について、自分なりに書いてみて思ったことがありました。


数日でも自分の気持ちは変わるんだなーということです。


実は、感じ方が変わったきっかけはSNSで見かけた発言でした。


SNSをやっていると、自分と同じ特性の人を見かけます。


そうすると、共感する反面、嫌だなー、自分もこういうこと言ってるのか……と同族嫌悪的な感情も芽生えます。


自分が以前不安定だった時は、そういう人に絡まれたり、自分も必要以上にそういう同じ特性の人にイライラしていました。


例えば、自分と気が合わない人に怒りを剥き出しにする


ばか、無能など、相手を侮辱した表現を使う


自分の思ったことを 私正しいですよね?といちいち他人に確認しないと気持ちが落ち着かない


ちょっとした諍いをひどいことをされた…と被害者意識を持ち、それを外に出す


言っていることに矛盾があるが、自分でそれに気付かない


自分がばかにしている他者に何故か依存する


など……。


しかし、単純に悪質というわけでなく、どちらかといえば、発達障害の特性で人の好き嫌いが激しい印象でした。


依存体質なのかなと。


善悪の話を持ち出して他者を攻撃してしまう特徴も持っているようでした。




嫌だなーと感じているのですが、なぜかそういう人を見かけると気になってイライラしながら見てしまいます。


それは何故か考えてみなくてもわかるのですが


自分もそうだよなーってことなのです。


了見が狭いというか、思い込みが激しいというか


現実認識が曖昧で、感情の容量が少ないのかなと思いました。


だからといって悪い人ではないのが、また気になるところなのかな……。


SNSでは、他者の発言を聞いて自分の問題の起こし方を考察できるので、対人関係の参考になります。


そこで、その考察を経て前回の記事を見たのです。


ああ、そうか、自分の価値観に合わない=相手を無能、悪呼ばわりするのってこういうことなんだなー…と思いました。


ただ自分には合わないことがわからないんですよね。


逆に自分に自身がないから、この人おかしいですよね?(私が正解だよね?)


と人に確認したがるのだろうなと思いました。


相手のことを悪扱いしないと


自分の感じ方も善悪や正誤で判断しなくてよくなるので


逆に楽になるんだけどね……。


人のことを善悪や正誤で判断するから、逆に自分が間違えてるかも…と思った時に意見できなくなったり


情緒不安定になるのだなと


他の人の発言から気付かされる体験でした。



合わないな、嫌だな、程度の、かるーい感覚でよくて



この人こんなだめなんですよ!



と、わざわざ外に訴える必要はないのだと気付きました。


そして、だめだと思ったら自己判断で別れる


それだけでいいのだと……。


一つ一つのことに過剰反応しないで、薄い反応を心がけて


他人を巻き込まないようにしようと思いました。

カウンセラーから真似されてる?

またまた4ヶ月書きませんでした。驚


今回は、カウンセラーとの関係性について書きます。


実はこの頃、カウンセラーとの関係に悩んでいます。


というか、かなり以前からカウンセラーさんとのやりとりに疑問を感じていたのですが、


自分が不安定だから被害妄想を感じているだけなのかな…?と見過ごしていました。


人との関係を考える以前に、自分の内側が混沌としていたので……。


私としては、冷静に考えられる状態になってから人のことを考えたかったのですね。


具体的に気になったことの内容なのですが

カウンセリング時に、カウンセリングルームに置いてあるピアノを弾かせてもらったことがあったのです。

私がピアノが好きという話をしたら弾かせてくれました。

それ自体は、色々なことをさせてくれて親切だなーと思ったのですが

次回のカウンセリングに行った時、カウンセラーさんがその時に私の弾いた曲をわざわざピアノを習い始めて練習し始めたと言われたのです。

その曲を弾いた時に、暫く動けなくなるくらい感動したらしく、かなり自分の世界に浸っておられる様子だったので、余程その曲を気に入ったのだな、嬉しいなとは思ったのですが

さすがにピアノを習っていたわけでもないのに、その曲を習うためだけにレッスンを始めたという話には、驚きました……。

というのも、その楽曲は割と高度なもので、継続して練習すれば子供でも弾けるものの、初心者がその曲から始めるのは無理があるな…という楽曲だったのです。


その方は昔エレクトーンをやっていたとのことなので、全くの初心者じゃないのかもしれないのですが


娘さんもピアノ経験者とのことで、生演奏に触発されてすぐにレッスンを始めるというのも、いささか不自然に感じました……。


このエピソードだけだと、感化されるのが悪いことなの?褒められたことなのにネガティブに考えてない?という感じですが


実は、このカウンセラーの方に普段から依存されている感覚があり、今回の件に違和感を感じてしまいました。


悩みを相談した時に、


「この話は要するにこういうことだから、こうしなさい」

という反応をされることが多く、


それが自分としては納得が行かない内容だったので


コントロールされているな……という印象を持っていました。


本人は良かれと思って言っているようなのですが、私としては、自分の考え方を否定されているようで、悲しくなりました。


しかし、相手は完全な善意から出ているアドバイスのようなので、指摘しにくく……。


言ったほうがいいなと思い、一度


私はこう思うのですが、あなたはこういう考え方をしているということで間違いないですか?(意見が違うようですね?)


と確認を入れたのですが

「だってこういうことなんでしょ?(あなたが間違ってるよ)」


という反応をされました。


しかも、その「こういうことでしょ?」の内容にズレがあり、結局話の内容を理解していなかったことがわかりました。


しかし、自信満々な様子のカウンセラーさん


そこまで不快なら頼まなければいいというだけの話ですが


実際役に立ってくれているところもあるので

能力に斑があるのだなーと認識していくしかないですね。


実際、カウンセリングって難しい仕事ではあると思います


自分が精神状態の悪い人を相手にして、常に正解の答えを出せる自信は私にもないです


特に、私が受診当初境界性人格障害を患っていたため


患者から依存される→知らず知らず自分も患者の依存心に引っ張られて自己投影する


という心理的な働きがカウンセラーさん側にも存在したのかなと思います


カウンセラーは癒しをサービスとして売っているものの、神様ではない生身の人間だということですよね。


折り合いがなかなか難しいです。


本音を言えば、お金を出している以上プロとしての自覚を持って欲しいとは思います。


他の患者さんや同業者について、


「他の患者さんにアドバイスしたら怒られた…」

「他の同業者が発達障害で問題を起こしていて困っている」


などの、逆相談?みたいなことも何度かされました。


私自身発達障害があるので


発達障害の他者から煩わされているという話を当事者にされても困惑しました。



他の患者さんへの苦言を私に言うことで、私が意見しにくくなることへの配慮はないのかな?と疑問を持ちました。


その方自身、元々コミュニケーションが苦手との話をされており、


ご自身の父親が依存症だったそうです。


私の個人的な推定ですが


依存症の人物と婚姻する女性は本人が共依存という、依存症の人物に対して依存する問題を抱える場合が多いらしく


依存症の人物はわかりやすく暴力に訴えるので憎みやすいものの、


依存症の人物を甘やかす共依存型の親のことは、一見良い人に見えるため


子供が憎みにくく、結果的に親から自立する機会を失うそうです。

共依存の何が問題かというと


例えば父親が子供を罵倒していた場合


「お父さんは病気だから仕方ないのよ…(だから問題を起こしていても許してあげなさい)」


ということを、子供に言ってしまったりします。


倫理に反することを他人に許容させてしまうということです。

これ以外にも色々例はあるのですが…


こういった親に育てられると、子供は大人になってからDV被害などに遭遇しても我慢します。

依存症の父親のことは悪く思っていたと仰っている方なので、恐らく共依存の母親から心理的に自立できず、

無意識に依存症の患者に依存する傾向が出ているのかなと思いました。



このように、心理分析家を分析する始末……。


自分も共依存の傾向があるのだと思います。


依存症と共依存はセットで発症するそうなので。


無意識に憎んでいる相手に甘え、真似する。


難しい問題ですね。


ただ、自分もカウンセラーの問題行動をかわいそうという同情心から甘くとらえている訳でもなく、


メリットがあるから仕事をお願いしている側面はあるのです。


性格が共感的で話しやすい方なので


そこには甘えさせてもらっています。


ただ、想像力に問題のあるところがあるようなので


その方のそういうネガティブな特性とは、どう付き合うのが良いのか模索しています。


やはり、自分の悩みに対して


「許してあげなさい、誤魔化しなさい」


と適当に言われると、怒りが湧きます。



持ちつ持たれつみたいな発想も世の中にはありますが、

お金の発生する関係性である以上、純粋に対等な関係ではないと思うのですよね…。サービス業なので



私がこういうことを割と直截に言った場合


「怒られちゃった……(何よ!怒)」


という反応を呈される気がして、伝えるのが億劫な気持ちになります。


というわけで、他のカウンセラーも検討中なのですが


如何せん鬱状態で新しい治療者に次々と会うのは、疲れます。


そうは言ってもやる以外仕方がないのですが。





実際探したところで完璧な治療ができる治療者なんて存在しないのだろうなと思います。


そのカウンセラー以外の方も試したことはあるのですが


あまり変わりなかったというか、その方が一番マシだったので…(ひどい言い方ですね。)



境界性人格障害という持病の都合上、


自分の問題なのか、治療者の問題なのか判断が難しい


自分自身許容値がさがっている


そもそもカウンセラーや精神科の医師自体が変わった人が多い


叱る権利があるのか曖昧な人に叱られることは自分の治療には良くないことだから妥協しないほうが良い



そもそも完璧な治療などできる人自体が少ない


など、問題が多岐に渡っています。



精神疾患のコミュニティで相談したところ、


カウンセラーに救われなかった、


不愉快な思いをしたので行くのを止めた


自分で対処したほうが速かった


などの意見をいただきました。


実際、自分も自分で情報を集めて自己分析するほうが


治療には直結した印象がありました。


色々と難しいです。


今後も模索していくと思います。


正直、症状の消失に近付いているので、


わざわざストレスになるならカウンセリングに行く意味があるのか?と


思い始めています。

普通のことができない病

鬱とか人格障害って、普通のことが普通にできれば、克服できます。



例えば、エネルギーが落ちてる時は休む


回復して来たら、負担にならない程度の軽い運動


刺激になる人間関係から離れる、もしくは相手を刺激しない


自分の情緒は自分でコントロール


ストレスがたまったらこまめに解消



助けが必要な時は適度に頼って適度に諦める



断らないといけないことは断る


偏った食生活をしない


不安定な時は環境を変えない


自分で決めたことは責任を取る






こういうことを守ってれば、健康は自然に時間をかけて回復します。



ただ、こういった普通のこと、が、できない人にはものすごく難しいです。


人に頼ることが当たり前になっている人



人と諍いになることが日常になっている人



自己管理の仕方がわからない人


自分の体調に自分で気付かない人 


自分のストレスに自分で気付かない人



普通、が難しいから、問題を解消できません。



基本的に、環境に振り回される人は、環境を支配して自分が幸せになろうとします。


これはトラブルメーカーになる場合のみでなく


自分がトラブルメーカーに嫌われないように不要な責任の肩代わりをしている場合も


服従という形で他人の行動を支配しています。


ちょっと難しく言いましたが、


だめな時はだめ。できることだけやる。


と腹を括れない人は、追い込まれますよね。


追い込まれてから考えるのでは遅いので、だめになった時の対応は用意しておくのが安全……。


えっと、何を言いたかったのかと言えば、


普通じゃないことって、意外と起こってしまうんです。


普通じゃないことが起こった時、普通じゃない対応で無理に問題を抑え込むと、トラブルになります。


これが共依存です。


依存症であろうと共依存だろうと、問題は同じなのです。


普通のこと、ができれば、問題は消えます。


だけど、この、普通の感覚を育て、元持っていた普通じゃないストレス対応を、手放すこと


これが難しいです。


2年くらいは、脳が依存していた時の異常な興奮状態を求めて、依存を再発させようとするそうです。


2年くらい耐えられたら、段々神経系が興奮しないように変わっていくとか。


だからですね。時間はかかってしまうものなのですね。


依存症、共依存の人は、どこか考え方に幼いところがあるので


即効性がある解決を考えたがるのですが


基本的に即効性があるものは危険です。


というか、即効性があったとして、


神経可塑性があるので、元に戻ろうとする力は働きます。



だから………時間は必要でした。



常識の覚え直し自体も、時間かかりました。


骨の折れる体験でした……。