楽しく強迫性障害

強迫性障害は全然楽しくないです。なおさないと…というプレッシャーを下げるためにあえて。

目標のない虚しさ

かれこれ5年ほど鬱病を患ってきて

 

ようやく寛解かな?というところまで来ました。

 

きっかけは会社でのいじめだったのですが、子供の頃からの家族関係の悪さ、学生時代のいじめ

 

婚約していた人との別れなどが重なって発症した鬱病でした。

 

思えば子供の頃から無理して走り続けて、立ち止まったことのない人生だったのだなー…と強制的に立ち止まることになり初めて気付きました。

 

この4年間、人格的な問題を解消して別れてしまった元カレと関係をやり直したいという思いだけで突っ走っていました。

 

それがやりすぎて、逆に占い師に洗脳されかかったり、プレッシャーで不眠になったり、カウンセラーさんと共依存になったりしてしまいました。

 

自己啓発を止めようと決めてから、スルスルと精神状態が落ち着き、怒りと不眠に悩まされることがなくなりました。

 

一人言の止まらない症状も落ち着いています。

 

自己啓発=本来の自分の否定なのだなと気付いたのが6月くらいかな……?

 

良くなれば戻ってきてくれる、という思いで努力していたことが精神的には逆効果だったなんて、皮肉ですね。

 

妄想的になる症状もだいぶ落ち着きました。

 

現在は実家で安静にしていますが

 

時々家族と諍いになるとか、家族に怒りを感じる自分は消えていません。

 

でも、怒りを消してしまおうとしていたことが鬱の原因だったのかなと思います。

 

結果的に言うと、私の身内は境界例自己愛性人格障害の人物が多いです。

 

私自身二十代はずっと境界例でした。

 

現在も傾向は残っていると思います。

 

家族にも私にも発達障害もあるので、思い込みから人を攻撃し、複数人対一人で子供をいじめる家庭だったので、いつも自信がなく孤立していました。

 

私自身とても攻撃的な人格に変わってしまったときもあり、恋人と別れて辛い思いをしました。

 

そして、一人になって4年間の自己啓発期間を経て感じたこと。

 

 

それは、病気は病気故に直らない。境界例自己愛性人格障害の家族を持つ場合、家族に変わることを要求するのはまず無理なこと

 

自分が犠牲になる形で家族を許そうとすると自分の人格が壊れること

 

などでした。

 

だから、誰も犠牲にならず、障害を無理に直そうともせず、本人たちがやりたいことを人の迷惑にならないように淡々とこなしていく

 

出来るだけお互いに頼らず、自分のことは自分でやるという方向に話が落ち着きました。

 

 

パーソナリティ障害だけでなく発達障害も併発している場合、人と一緒に何かを協力してこなすよりも、一人の世界の中で自分のしたいことを一人でこなすことの方が、性格的に落ち着きを取り戻せるようです。

 

私の親も、私がコミュニケーションを取ろうとしない限りは、自分のことを一人で黙々と人の反応を度外視してやり続ける人たちなので

 

彼らのマイペースさを侵害せず、本人たちがやりたいことをやらせてあげることが大事なのだなとわかりました。

 

過去に親に吐かれた暴言などがフラッシュバックして布団に寝たきりになっていたのですが

 

発達障害人格障害がある場合、自己同一性を失いパニックになると、人を罵ることで自分を落ち着かせようとする特性があるようです。

 

彼らの特性を人格的な問題としてでなく、自分を否定するでもなく、病気がそうさせるのだ、病気だからと言って自分が彼らの全てを許さなければいけないわけではない

 

など、現実的なことがわかるようになりました。

 

ここに来るまで、私自身人格が不安定になって、4年間も解離性障害で苦しみました。

 

 

家族関係の問題は一旦自分の中では、終わりにしたいと思います。

 

糸の切れた凧のように、次の行き場がなく、虚しさを抱えているので

 

日々のことがまずはこなせるようになりたいな、と思います。