楽しく強迫性障害

強迫性障害は全然楽しくないです。なおさないと…というプレッシャーを下げるためにあえて。

最初の頃の記事……

今日読み返したら、やっぱり硬い……。

今は鬱状態7割以上は脱した状態なので

何だか、景色の見え方が随分変わりました。


通算4年半くらい鬱だったのですが(会社でのパワハラ以降)


あれ、鬱じゃなかった時ってこんな感覚だった気がする…

と思う機会が増えました。


とても嬉しいとともに、


なおるんだ?という気持ち。


鬱がひどいと、もはやなおらないのではないか…


と、本人は本気で思うのです。


医師は割とヘラヘラと(言い方悪いかな)

大丈夫大丈夫ー、みたいな、軽いノリで診察されるじゃないですか、

あれは、当事者でなく、しかも、病気の進行、回復過程を把握しているから余裕な態度な訳ですが


患者側からすると、この人こんなにこにこしてるけど、事の重大さを把握していないのでは…

と思ってしまうのですよね。

実際、薬を処方された通りに飲んでも直らない人が、全体の3割程度いるらしいです。

私の予想ですが、恐らく単純な鬱病ではなく、愛着障害人格障害を併発している場合は、精神薬のみの治療では問題は解決しません。

医療情報調べまくった結果ですが、

精神薬はあくまで鬱の時のネガティブなグルグル思考(反芻思考)によって脳機能が消耗していくのを、強制的に、化学薬品でストップさせ、

脳機能の回復を図るそうです。


反芻思考を止めると当然ですが

思考停止します。


ひたすら、怠い、何も考えられない。目は開いてるけど


悲しみも、喜びも、恐怖も、何一つ感じなくなります。


本当に苦しい人からしたら、

え、それいいね。と思うかもしれませんが

結構きついです。

私は、きつくてだめでした…。

何も考えられないっていうのはいいのですが


喜びも感じられない。ていうのが一番きつかったです。


そもそも、副作用の苦しさが一番きつい。


副作用に慣れても、ひたすら無の世界が続く……。

言葉で説明できない苦しさです。

呂律が回らなくなるんですよ。


その、自己効力感のなさが、私は無理でした……。


私は結果的に見ると、鬱でも重症ではなく、適応障害だったようです。


適応障害の場合は、抗鬱薬は効かないそうです。


精神科は行く病院で病名が変わるくらい曖昧な領域なので


はっきり言って自分で本やネットで情報調べまくって、納得の行く治療法を探した方が上手く行くのではないかと思いました。


漢方薬なんかも効かないという医師もいますが


私は結構効きました。しかも即効性あります。


それ自体ですぐ鬱に効くものではないですが


鬱状態の時に弱りがちな体調とか、偏った神経系を解してくれる感覚でした。


私の体験では、鬱はこれという特定の治療に頼って克服して行くというよりは、


複数のアプローチで全体的に体力、気力を底上げしていくのが一番効きました。


トラウマ治療の専門家も、本人がどうしたいかに耳を傾け、患者がやりたいと思うもの、本人の意思に合わせたものを試して行くのが大事と仰っていました。


何よりも、結局、時間の解決が一番効いたと思います。


それまでの時間稼ぎをどうするかが大事でした。

劣等感の強い者同士で惹き合う

前回のブログでも書いたのですが

私は発達障害と軽度の境界性人格障害なので


いじめの被害に遭うことが多いです。


単純に気が合わない、対人関係にコンプレックスを感じている者同士の諍いなのですが


加害者は自己愛性人格障害の傾向が強い人です。


私の家族が自己愛性人格障害発達障害のどちらかを患っている人物しかいないので(姉だけ健常)


外の世界でもやはり克服していない対人問題で詰みます。


自己愛性人格障害の人は一見コミュニケーション能力が高いので、敵にするとこちらが追い込まれて行きます。


しかし、人格に偏りを抱えていて、劣等感の強い状態の人たちなので


発達障害など明らかにコミュニケーションに苦手意識がある


孤立した人に加害者本人が依存している場合が多いです。



はっきり言ってしまうと、ばかにして虐げても逃げて行かないほど無力な人にしか、本心をさらけ出せないくらい臆病な人たちなのです。


そして、いじめている被害者に何故か無償で愛されている、尊敬されていると誤解するのも自己愛傾向のある人々です。



自己愛性人格障害の傾向が強くなるとこの妄想度合いは上がって行きます。


実際、被害者側も逆上されるのが怖くて曖昧な態度を取っているので、誤解させてしまうのは仕方ないところもあるのですが…。


そして、実情では、被害者体質の人自体が加害性がある人物に自分から近付いて行くことも多いです。


自分の親が自己愛性人格障害だった場合、反発しているが親を見捨てられない心理状態の人が被害体質になるので


他者にもそのコンプレックスを投影して、わざわざ自分から危ない人に関わりに行くのです。



こうして書いてみれば、自己愛性人格障害の人物が被害者から尊敬され、愛されていると妄想するのは、あながち妄想ではないのですが


嫌なのに離れられない、という実情が、加害者と被害者の認知のアンビバレントなところですね。


結局は、自己肯定感が低いから自分に加害を断る権利がないと誤解している者と


自己肯定感が低い故に、他者を阻害することでしか安心を得られない病人同士の殺し合いなのです。



よくある間違いは、加害者も病的な存在であることがわからないで


被害者が加害者に報復したがることですね。



加害者側は精神的に困窮した状態なので、報復は危険です。


そして、自分も暴力という加害行動に出てしまっては心の健康を失って行きます。


結果を言ってしまえば、泣き寝入りが一番自分のためになるんですよね。



ただ泣き寝入りで終わりにせず、加害者から離れ、自分で傷を癒やしていくのが大切ですね。

私はブログを更新しない人みたいです。

いつも、このブログの存在を忘れがちなので


もはや自分で過去の記事読んで


こんなこと、書いてた?


状態に。(笑)



更新は続けます!


過去の記事読むと


鬱ひどかったんだな…と改めて思います。



文章がおかしい。



ヘロヘロになった状態で書いていたのがわかります。



鬱になると感覚が普段と変わるので


こんなこと考えてたの?と自分でも驚きます。


本当に、世界が灰色になるのです。


普段わかってるはずのことがわからなくなる。


例えば、私は対人関係が苦手なので

コミュニケーションが上手な人から

突っ込みどころ満載だよね!とか、時々言われます。


結構、そういう感じのことを言う人が私は苦手なのですが
(いじめに発展することが多いので)


鬱ではない健康状態の時は、そういう発言をされても


自分とは合わない人だけど、だからと言って必ず悪い人ではないな?と思えます。


鬱になると、ばかにされた、攻撃されたという


ショックな感情が強くなるのです。


相手にそれほど侮辱の感情がなくても

侮辱されたという感覚が言われた当人は強くなる状態です。


そういう精神状態で人と関わるのは苦痛なので、更に孤立して行きます。


人に気を遣うのが限界になるのですね。


こういう状況は鬱が寛解すればなくなるのですが


本人は自分の性格の問題だと誤解して精神論で押し込めようとするので、鬱状態は悪化します。


鬱は休む以外の治療は存在しないと実感しました。

すぐむきになる性格…。

感情的になりやすいです。


好き嫌いも激しい…。


仕方ないですね。


学生時代のいじめと家族関係が原因かな。

克服はできていません。


会社とかでも、容姿いじり?とか自分の容姿も貶すけど、他人の体型や容姿もばかにする人とか

テレビの真似をしてるのかな?っていう話し方する人いるじゃないですか…。


適当に聞流せばいいのに、無理だーと思って、アレルギーです。

そういう人って一定数いる訳で、いちいち逃げていたら仕方無いな…と思うのですが

人間の相性悪いのでしょうね。

しかも、そういう人程大人しい人、むきになる純粋な人に

なぜか絡む傾向は強いと思います。

怖がってくれたり、傷ついてくれる相手に言う方が楽しいのでしょうか…。

そういう予想も立てると、更に苦手意識が増します。

子供の悪口と同じなので、怒るだけばかですよね…。

もっと言えば、傷ついてるので

自分の認識の問題かなとも思います。

この人、何言ってるの?嫌な人だなーと思えれば

引きずらないとは思います。

理屈ではないんですね。

日本では、二人に一人はいじめやパワハラ被害に遭ったことがあるそうです。

いじめ、パワハラの対象になる人って何度も体験してるイメージですが

意外と散らばってるんですね。

加害者は元被害者とも言いますからね。

適当に流せる人は、やっぱり、精神的にコミュニケーション能力が高いのだと思います。

相手の扱い方がわかるから、むきにならないで流せるのかな。

私は具合悪くなるくらい嫌い度が増してしまうので

やっぱり許容値が限界なのだと思います。

それはそれで自分の体質として、

その体質を変えようとするよりは、環境を体質に合わせるのもOKかな?と思って来ました。

人には得手不得手あるよな、というのが理解できるようになって来ました

ちょっと前までは、何でも克服しないと!とやはり熱血体質でしたが、


限界にたどり着くのも大人になったということかもしれないです。

本当に、蕁麻疹出ちゃうんですよね…。

過去、苦手だけど苦手じゃないふりして働いてた時は

何故か自分からハラスメント傾向の強い職場を選んでいました。

やばり、心の因果なんでしょうか。

鬱になって色々と考え、

現在は、嫌な思いしても、切り替えは速くなったと思います。

お仕事してない状態で生活してても、意外と嫌な思いするタイミングはあるのです…。

苦手だーと思っていると、逆に苦手な対象を引き寄せているのかもしれないですね。

ハラスメント傾向のある人は人の怖れや嫌悪などに敏感に反応しているので

自分にエネルギーない時は危険ですね。

身体的な特徴を嘲笑されたりするのも昔は怖かったけど

病気が寛解するに連れて、

大人になって肉体的なことで人ばかにしてるって………。

という感覚が強くなって来ました。

それが普通の感覚なのだと自分も知らずに生きていました。

自分自身が幼稚な感覚のまま生きていたということです…。

自分の精神的成熟度は大切ですね。

同じ価値観の者同士でしか喧嘩はできないとも言います。

映画de人間関係を学びました

私は映画好きです。

鬱になって随分いっぱい観ました。

海外ものは良いですね。

海外って、日本とコミュニケーション形態が随分違うので

やばりそういう傾向が色濃く出ています。

自己主張の仕方がわからない!という人は、海外映画、ドラマはお勧めです。

特に、サイコ映画はすごい。

日本のサイコものって、途中までは描いてくれるものの、

なんていうか、海外もののサイコは

人間全体を一気に見せてくれます!

描写がすごいです…(これじゃ伝わらない)

あと、日本物のサイコ映画って目を背けたくなるほど残虐だったりグロテスクなもの多いですが

海外ものサイコは意外と怖いシーンが少ないものも多いです。


特に、ホラー要素の少ないサイコ映画だと、喜劇要素も入っていて怖くないです。

私が好きなサイコ映画+人間ドラマを中心にした映画を書きます。


ミザリー

アクトレス

・なにがジェーンに起こったか

欲望という名の電車

・赤い航路

・反撥

・シャイニング

・トムアットザファーム

です。

ロマンポランスキーキューブリックとクザヴィエドランは

サイコを知り尽くしてる人です…。

ていうか、ロマンポランスキーキューブリックは本人等がそういう人だと思います…。

サイコパスムービーを観ると

ああああこういう人本当にいるんだよ!!!

という気分になれます。

そして、

これと戦っていたのか………

と、自分がすごい人物だったことにちょっとだけ気付けます。
愛着障害持ちなら)

傾向と対策が学べます。

ていうか、

あの人達は社会的に見てもやばい人等だったのか……。

と気付けます。

そもそも、実生活でそういう人たちにいてこまされてる人の憂さ晴らしになるように作られたのでしょうね……。

昔の映画も現代のサイコムービーも内容同じですから。

昔からいたんだね…って思います。

あと、すごい怖い話なんですが

実家を出てない愛着障害の人がサイコムービーを観ると

……

何これ?こんな怖い人いるの?

怖ー。(笑)

……

ってなります。


本当にそうなります。


洗脳って怖いね……。


自立した元機能不全家庭育ちの人は

過去の思い出を振り返れると思います(泣)

依存からの脱出

前回のブログの続きです。

鬱になる以前は自分では何一つ考えていなかったのですが


そこに開き直りがあったし

そこそこ考えてる方だとすら思ってました。

全然そんなことありませんでした。

鬱になってから完全に人間不信になってしまい、

かなり独善的な考え方に陥っていたので


それはそれでどうなんだろう…と思いましたが、

人は確か精神の発達段階が存在して

自分の親を神としてそれを模倣する

自分を神格化して全能感に浸る(躁的防衛)

自他の境界を理解して協調的になる


みたいな過程を経るそうです。

所謂反抗期みたいなものです。

機能不全家庭で育った子供は

親が子供に反抗されるのを怖れる(というか、親が依存体質で子供を自立させない)

傾向にあるそうです。


私の場合は完全にそれでした。


なので、鬱で限界に到達して


一人で飛び出した訳ですが

最初は私が正しいんだ!

みたいな世界に入ってました。

寂し過ぎて占いに依存したり…

(占い師の方のYouTube観てただけですが)

それはもう頭カチカチの状態でした。

実際、頭痛と肩こりがすごかったです。

鎮痛薬の効き目がすごい。

鬱状態で家を飛び出したのが無理があったみたいです。

問題ある家庭なら、親と離れないととはよく言いますが

タイミングは大事でした。

冷静に判断できないのも、また鬱の症状ですかね…。

自分探しの旅は、適度にゆっくりと、ですね。

不思議な話で自分では物を考えていなかった時(依存状態)の時の方が熱血体質でした。

やっぱり自分では物を考えてないですから、世の中的には忍耐!努力!って方向性強いじゃないですか?

反対に、厭世的というか、

楽しく楽に生きてれば良いでしょー、上手くやることが大事

みたいな、やる気のない感じ


この両方を行き来してました。


何も考えてないと、いざやる気を出しても

忍耐!みたいな中途半端な方法しか出て来ないんですよね。


で、すぐ追い込まれて諦める。

力の抜き方とかも、ある程度自立する姿勢がないと理解できないのだと気付きました。

すぐに人に頼る癖があると、人にどうにかしてもらおうと思う訳ですから

自分の考えなんて持てなくて当然ですね。

悩んだら調べる癖も身に付いて

情報の取捨選択も上手くなったと思います。

これは嘘だなーとかも、ネットの情報見てもろくに判断できない人でした。

感情的な自己解決の姿勢を

自己調整能力と言うそうです。

たとえば、小さい子供が玩具を買ってもらえなくてジタバタしてしまうのは、我慢という体験が少ないので、自己調整機能が上手く働いてないからですね。

所謂クレーマー体質の人は

やさしくしてもらえなかった! 

ひどいことをされた!

という発想になってしまっている訳なので

この自己調整機能が身につかなかったという人たちです。

不適切教育の結果ですから、

教育次第で人の人格は本人の常識も変えてしまうということ。

逆に言えば、覚え直すこともできるようです。

発達障害は器質的要因が強いみたいですが、発達障害でも愛着障害であっても、

大人の振る舞いを覚える速度が遅いだけで、

徐々に行動や情緒的な改善は図れるとのことでした。

特に愛着障害は不適切教育の結果としての問題行動なので

そこに気付ければ本人の精神負担は随分減って、問題行動は減るとのことです。

外の付き合いではみんなに好かれる良い人だけど

身内には態度が悪い、モラルハラスメント傾向の人は

愛着障害である訳ですが

気に入られたい人の前では協調的な行動が取れる

身内には情緒的反抗が出る状態なので

振る舞い方を知らない訳ではないんですよね。

そういう意味で、気持ちの問題が整理されれば、行動の改善は著しいと思います。

発達障害の傾向が強いと、社会的な振る舞い自体がわからないので。

それでも、心理的負担が減れば随分認知の問題は解決するようです。

赤ちゃんの育て方と同じですね。

泣き止ませ方の上手い人は自身の感情調整が上手い人だと思います。

新年も続けます

いつもブログとかsnsが続かない自分だったのですが


鬱になって、これからは一人立ちせねば!と思ってから


何故か続くことが多くなりました。


はて?なぜなのか。


寂しいからと、

それまではろくに物を考えておらず、書くことがなかったのかもしれません。


ていうか多分それが一番の原因…。


鬱になるまでは、多数派意見=自分の意見だったので


特に自分の意見、考えもなく、言葉にあえてしたいこともなかったのかもしれません。


だから難しい問題とか有耶無耶で


人と揉めた時も自分の意見がないもんですから、大変でした。


やっぱりそれなりの年齢になったら、自分はどんな人間なのか、(パーソナリティーとか、抱えてる問題とか)

考えないと追い込まれちゃいますね。

私にとっては鬱=自分探しの旅でした。

前述のブログで、例えば街中で人に嫌がらせされた!とか


嫌なことがあって落ちてる時に


自分はどんなことで回復していくのかとか

自分にとっての地味なパワースポット的なものも確立できました。


私は鬱になる以前は依存傾向が強く、なんでも人に相談したがり、なんでも人に共感&なぐさめてもらいたがる

痛い人でした。

自分でも自覚はしていたのですがあまり問題意識がなく

人間関係のトラブルを期に、


これじゃだめだ!と一念発起しました。


最初は、自分で自分の感情の面倒を見ることに慣れていないもんでしたから


えー、私ってこんなに怒りっぽいんだ?とか


自分でしたことに全然責任取れてないじゃん…とか

発見がいっぱいでした。

というか、完全に、メンヘラだったんだなと


改めて実感しました…。