楽しく強迫性障害

強迫性障害は全然楽しくないです。なおさないと…というプレッシャーを下げるためにあえて。

第三者に向けて伝える作業

昨日ブログを始めて、意外な効果が出ました。

愛着障害で困るのが、第三者目線が持てないこと

つまり大人になれないことです。

ブログを書くことで、意識的に第三者(他人)に理解されるように状況や思いを伝える姿勢が

閉鎖的な気持ちに良い効能をもたらしました。

普段、他人に病気について詳細に語ることはないし、

カウンセリングだとただの弱音、グチになる傾向があるのです。

人に理解されるように話す+それを冷静に見直せるというのは

愛着障害のコミュニケーション不全には良い機会になるなと思いました。

自分の思いが形になる事も、人が見てくれる、くれないに関係なく、小さな達成感に繋がりました。

意外な効能でした。

三者目線を育てて行く大切さについて書こうと思います。

愛着障害とはざっくり言うと対人不信によってもたらされたコミュニケーション不全。

発達障害と間違えられ易いのは、やはり対人関係に支障が出るからなんですね。

要するに、

「自分の感情が自分でわからない

自分の感情の伝え方もわからない

だから他人の気持ちもわからない」

という事から対人不安を抱えることです。

親がこういう障害を抱えていると子供も問題のあるコミュニケーションしか教えられず、苦しみます。

そもそも、感情自体を否定されて育てられる子供もとても多いです。

泣くな!怒るな!傷つくな!

と言われて育てられた子供は

一体どうやって自分の心を扱って生きていけばよいでしょうか?

ストレスを調整することもできなければ

他人の痛みに共感して調和を図ることも難しくなり、

自分の痛みだけに過剰反応して

人に理解されなくなるのです。

これは大変不幸なことです。

新しい対人関係の結び方を覚え直す必要があるのですが

カウンセラーに混乱した思考を吐露しても

やはりカウンセラーといっても人間なので

その混乱に対して理解を示して導いてもらうには

相当な理解力、忍耐力が必要です。

それを提示できるスキルを持ち合わせたカウンセラーは

少ないと思うのです。

傾聴以上のことは基本的に難しいです。

ひたすら、そうだったんだね、うん、うん…と聞いてもらっても

カウンセラーがそれを形としてだけ行う姿勢が見えると

やはり相談者にもそれは伝わるものです。

仕事だから聞いてくれてるだけ…

という感覚に虚無感を覚えます。

しかし、他人が本当の意味で他人に共感するのは

基本的に無理なことです。

自分で自分を理解する力を育てることが必要です。

そして自分を理解する作業とは自分を守る作業です。

なんでも他人に共感してもらえないと

自分の感情、思考に自信が持てないとしたら

自分で意思決定ができないということなので

危険な状況を回避することもできなければ

自分で自分のしたいことを実現して行くことも難しい。

対人関係とは人と人との思惑が衝突していく事なので

自分の思惑を否定、拒否された=相手は敵

と認識していたら、この世は敵ばっかりになってとても生き辛いです。

そこで、第三者目線が必要なのです。

これは、経験の中で培って行くことでしか育てられないものですよね。

子供はトラブルの中で無力になるのは

この第三者目線を持てないからです。

癇癪を起こして人に援助されること

その場で強い立場の人に支配されること

傷つけられない為に関わりを閉ざすこと

基本的に消極的なコミュニケーションの選択しか存在しません。

自分で状況を把握して

自己決定して行くのは無理だと思います。

決定に責任を負うことも理解しないので

失敗しても、それを解消していく力を持てずに苦しい。

こういった過程を大人の介助の上に

一つ一つ覚えて行くことで

子供は初めて自立できるのですが

不健全な大人に出会うと

それを阻害されていきます。

助けてもらえる機会があれば良いですが

そこで転んだまま悪化すると

大人になっても人と関わり方が難しい

愛着障害になるのですね。

子供の頃に傷つけられ、理解されなかった経験を解消するには

やはり他人に理解されること以上に

自分で自分の過去を理解して行く姿勢が必要です。

他人に理解を任せていると、人の判断に依存するので

自分に自信を持つことが困難なのです。

と、簡単に書いたのですが

私自身この作業が苦手で

まだ途上です。

自己意識の中に縛られて

雁字搦めにされ

人に心を開くことが苦手です。

カウンセリングで頻繁することですが

カウンセラーさんにトラウマを話し

大変だったね、親はひどい人だねと言われても

いや、私が言い過ぎてるんです…と思えて悩んだり、

逆に親も大変な人で、愛情ない訳ではないのでは?と言われれば

違う!わかってくれない!と苛立ち…

どっちつかずで苦しい…

という状況。

すっきりと、はい!私は被害者です!となれれば楽な気もしますが

いや…でも…と悩んでいる時間は

現実認識を行うにあたって、大切な作業なのだと思うのです。

そうじゃなければ、自分に都合の悪いことが何でも悪!となって、敵を自ら増やしてしまうと思います。

カウンセリングとはそうやって思い悩む作業に付き合ってくれる人を獲る機会なのですが

最後は自分で判断を選択していくしかないんですよね。

やたらめったら自分に都合の良い話をして

ほら!ね!相手が悪いでしょ!と言ってみても

一時的な共感は獲るのですが

やはり自分の現状は自分が一番わかっていて

なんとなく自信が持てなくなるのが自然です。

一人になって

一体どんなことが起こっていたのか?

自分は何をしたくて、何を感じていたのか?

他人はどんな風に感じて、どう行動していたのか?

納得できるまで、試行錯誤する時間が必要ですよね。

そういう作業を疎かにすると

あとで綻びが出ることになって大変です。

現実認識力はこれからも育てるように意識します。