楽しく強迫性障害

強迫性障害は全然楽しくないです。なおさないと…というプレッシャーを下げるためにあえて。

私は痛い女。

自作の詩、ちょっと痛かったかな?と思いつつ


痛いのが私ならしょうがないかー、と思い、消してません。


どうせだれも見てないしなぁ。


今日のタイトルは、そのことじゃないんです。



過去の、懺悔です。


私にはとても好きな人がいたのですが


私の適応障害および境界性人格障害が原因でお別れしました。


完全に、私の責任で別れました。


彼は最初から最後まで献身的に支えてくれましたが、人間限界があるのでね……。


彼がずっといてくれると、思い込んで迷惑をかけてました。


この病気を克服しないとと本気で思えたのは、彼との別れを苦にしてのことでした。


だから、彼には本当に感謝しています。


彼がいなかったら、克服したいと思えなかったと思います。


それくらい闘病は苦しい体験でした。


2年かけて寛解しましたが、彼には姿を消されてしまいました……。


私とは違う道を行くと決意したのだと、受け入れてはいるのですが


立ち直れてはいません。


せめて、病気を克服したとだけでも伝えたかった……。


彼自身、共依存で自分からトラブルの中に入ってしまう体質でした。


だから、私と別れて上手く行ったのか、心配しているところがあります……。


大丈夫かな……と、思い出したりしています。


私が迷惑かけた側なんだから、こんなこと思うのはおかしいんですけどね。


とってもいい人、やさしい人でした。


だけど、ちょっと病んでる人……だったのかな。


そうじゃなきゃ、境界性人格障害の人間と付き合いませんよね。



かなり無理矢理な状態だったのかな。



でも、最後に彼は、迷ってるのかな……?という気配があったのです。


私は自分のことばかりでコミュニケーション力崩壊していたので、


それに気付いたのは病気なおってからだったのですが……。


自分が迷惑かけているって、わかってました。


だから、自分で病気なおさないとって思ってました。


だけど、その自分でなおそうとする姿勢が、彼には、自分は必要とされてないと思っていたみたいです……。


あとは、責められるのが限界だったのかな。


もう2年も前のことだから、記憶は曖昧だけど、別れたことは心残りです。


現在でも、時々泣いてたり。


私は人のこと好きになる感覚があまりよくわからない人間だったので


恋愛に対して真剣さ、やる気がなく、


もっと彼に出会う以前から人と真剣に付き合っていればよかったと思いました。


好きな人ができる人生ではないと思っていたのです。


何が起こるかわからないものですね。


彼と出会ってから、自己肯定感上がったと思います。


以前は自分の性格も何もかも嫌いで自信なかったのですが


自分を大切にするってことがわかるようになりました。


自分の予定外の展開が起こった時に後悔しないように生きることが大事だと思いました。

詩を書きました5

あなたって、どうしてそんなにだめなの?


仕方ないわね、私が教えてあげる。


責任?そんなの、知らないわよ。


私が私のために、私の言いたいことを言って、何が悪いの?


ばかなあなたに何でも知ってる私が、ぜーんぶ、教えてあげる。


あなたは何にも、知らないから。

詩を書きました4

見よ、私の やさしさを


こんなにも 私はやさしい


私のやさしさに ついて来られるかしら?


私のやさしさにひれ伏しなさい


あなたのやさしさは その程度なのかしら?


その程度のやさしさで 私に勝てると思っているの?


悔しかったら 私のやさしさを

超えてみなさい


あなたにはできないわよ


やさしくないあなたが


人からやさしくされると思わないで

詩を書きました3

涙が塩辛いのは


甘えた心が 気化されて


本当の姿を現すから


甘えの心の辛辣さ


心のうちにあれば 甘かった


外に出したら辛かった


涙がもしも出なくなったら


辛い言葉で だれかを責めて


相手の涙の中に 自分の心が生きるのだろう

詩を書きました2

私が 悪いのよね?


私が 私の人生を生きて


何が悪いのかしら?


私が 私でいることが


あなたは気に入らないのね?


私を 愛していないのね?


薄情な人


そんなに人を断罪して


楽しいかしら?


あなたに 生きていけもしないあなたに


私を断罪する権利が あるのかしら?


人を殺せもしないで


自分を生かせもしないで


あなたが世界を語るのね


賢いって言われたい?


言って差し上げましょうか


あなたを愛していないから


いくらでも どうぞ

詩を書きました


心の地図とは


世界そのもの の 地図


心の座標は 世界の縮図


赤ちゃんが 泣くのはなぜ?


お母さんが あたたかいと


知っているから


お母さんは 世界の


この世界のあたたかさだと


知っているから


そのあたたかさがないと


自分は凍えてしまうと


知っている


心の座標に従って


あたたかい光を求めて


草木が太陽を 求めるように


赤ちゃんが 歩いて 話して


急に むくれるようになるのは


なぜ?


あたたかさの中で 殺されないため


自分の力で 生きていけると


知りたい


あたたかい手を押し返す強さは


生きようとする強さ


この世界を 自分で観ようとする


だから あたたかさの


善意の水で 腐らせないで

鬱が寛解すると難しい話がわからなくなる

最初の頃の記事読んで


はてな……?何か難しいぞ……?


って自分で思うように。(笑)


結構、鬱状態のような落ち込みの激しい人の話を聞くと、この人何言ってるんだろう…?


と、悪意なく思うことがあると思います。


昔の文豪の小説とかも、そうかな。


なんだか難しいな……という感覚。


でも、何故か鬱の時はそういう難しい言葉が


わかるわかる!となるのです。


精神医学的には、鬱的防衛というそうですが


過剰に自己内省が行われている状態。この逆は躁的防衛と言われ、


自分の心理的葛藤を他人のものと投影し、他者に攻撃的になることで自身の鬱感情から逃れる防衛反応です。


人は社会的ストレスに対してこのように自己防衛反応を起こして行く訳ですが


鬱的防衛(過剰な自己内省)に陥っている時に賢くなるそうです。


社会的な問題に対してどのように対処するか、自分の問題として抱えて行くのですから、


対処法を覚えて賢くなるのですね。


なので、鬱=大人になる過程の課題として肯定的に認識する専門家も存在するようです。


だれもが、多かれ少なかれ通る道、ということでしょうか。


当然、鬱病という明らかな問題として現れなくても、鬱感情、ストレスというものはだれもが抱えているものですから。



で、話は戻りますが


中二病という言葉がありますが
それも鬱的防衛と言えるのではないでしょうか。


反抗期の子供は、自尊感情と社会的価値との距離を測るために


色々と試行錯誤しますね。


詩を書いたり、音楽が大好きになったり、そういったことも


心的葛藤を軟化させて行くための一つの大切な過程だとか。


ここで心ない大人にそういった自分の世界を作る作業を嘲笑されてしまったりすると、


その子は反抗期が上手く築けず、心理的な問題を抱えたまま大人になってしまうとか。


芸術家に精神を深く病む人が多いのは

というかそういう人に芸術が適正があることは


心的葛藤が深いほど創造的な活動が豊かになるということでしょうか。


精神病がなおって創作物の内容がつまらなくなったと言われる芸術家もいますね。


要は、葛藤が少なくなるということは、より簡潔に世界を認識して行くということですから


なんと言えばいいか……


繊細な言葉を必要としなくなるのかな。


鬱がなおって来て、難しい言葉を理解できなくなったというのも、そういうことと関係があるような気がします。